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東京高等裁判所 平成2年(ネ)3006号 判決

控訴人 山田美紀

右訴訟代理人弁護士 鈴木篤

被控訴人 原田茂

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

理由

一  請求原因事実(控訴人が本件一ないし三の手形を振り出し、被控訴人がこれを所持していること等)は、当事者間に争いがない。

控訴人は、本件一ないし三の手形は、他で割り引いて資金化してもらうために交付したのに、これに対応する金員を受け取っておらず、その原因関係を欠くと主張するので、以下において、この点につき検討する。

二  当事者間に争いのない事実、≪証拠≫、控訴人及び被控訴人の各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められる。

1  控訴人の夫である山田光造は、昭和六〇年一〇月ころから、日中合作の診療所を開設することを計画し、昭和六二年九月には株式会社吉見会を設立して自ら代表取締役に就任するなどその準備をしていたが、昭和六二年九月、手形の不渡りを出し、資金繰りに窮した。

そのため、山田光造は、第三者から、資金援助に協力するという被控訴人を紹介され、昭和六二年一一月二三日被控訴人と会った。

被控訴人は、株式会社吉見会の取締役に就任し、同年一一月三〇日付けで就任の登記がされた。

2  山田光造は、昭和六二年一二月四日、都内にある被控訴人の事務所に被控訴人を訪問し、控訴人振出の額面五〇万円の約束手形(前記(1)の手形)を見返りにして、金員の貸付けを申し込んだ。

本件各手形の振出人を山田光造の妻の控訴人としたのは、前記のとおり山田光造が手形の不渡りにより、山田光造名義の手形を振り出すことができなかったからであり、山田光造が控訴人の名で手形の振出や金員の借入れをすることを控訴人は承諾していた。しかし、被控訴人は山田光造の右手形不渡りの事実は知らなかった。

そこで、被控訴人は、前記(1)の手形を受け取ったうえで、別表記載のとおり、同日、山田光造に対し、現金一〇万円を交付し、その後、同年一二月二九日までに合計五〇万円を交付又は送金(船橋信用金庫臼井支店、千葉興業銀行幕張支店の各控訴人名義の口座あて)して貸し付けた(控訴人は、交付分について全面的に争っているが、被控訴人が提出した昭和六二年度の手帳(甲第一〇号証の一ないし四)には、これら交付の事実の記載があり、被控訴人の当審における供述によると、この手帳はその当時記載したもので、後に改竄したとは認められない。また、甲第九号証(普通預金元帳の写し)及び被控訴人の供述に照らすと、これらの資金についても、被控訴人が当時取引していた住友銀行成城支店の普通預金から引き出すなどして準備したものであることが認められるので、これらの点に照らし、被控訴人がその主張の金員を山田光造に交付して貸し付けたことはまちがいないというべきである。)。

3  その後も、被控訴人は、山田光造の依頼に基づき、同人に対し、別表のとおり、昭和六三年二月三日から同年六月二四日までの間に合計一五三万六〇〇〇円を交付又は送金した。

右の送金分の送金先は、山田光造が指定した第一勧業銀行ユーカリケ丘支店及び両総信用金庫うすい支店の控訴人名義の普通預金口座である(控訴人名義の預金口座を利用したのは、山田光造の口座を利用することができなかったからである。)。

また、交付分についても、前記と同様の理由により、これを肯認することができる(右交付の事実は甲第一一号証の一ないし一三の昭和六三年度の被控訴人の手帳に記載されている。)。なお、昭和六三年三月二四日の四〇万円については、被控訴人は、原審では同月二七日に送金したと主張し、当審において交付分と改めたものであるが、≪証拠≫及び被控訴人の供述によると、山田光造が外国旅行に出る直前にその旅費の一部とするために、借入れを申し込み、被控訴人が住友銀行成城支店の預金口座から引き出して山田光造に交付したものと認められ、被控訴人の原審での主張は手帳を見誤ったものと考えられる。また、昭和六三年五月一日の三万円についても、被控訴人は右と同様に主張を変更したが、甲第一一号証の七(手帳)によると、同日の欄には「山田3」と記載されているのみで、しかも同日は日曜日であるから、送金することはありえず、交付したものであって、被控訴人が手帳を見誤ったものと認められる。さらに、昭和六三年六月二二日の五万六〇〇〇円について、被控訴人は、原審で送金と主張し、当審でこれを交付と改めたが、手帳(甲第一一号証の一〇の一)には「山田 1時国際カンコウ 山田3万、TEL56000送り」と記載されており、送金か交付かに疑問がないではないが、五万六〇〇〇円を貸し付けたものとみられる。

被控訴人がこのように山田光造に対して金員を貸し付けたのは、同人から返済を受けられることを期待して、ずるずると貸し付けたものである。

4  山田光造は、昭和六三年六月二九日、被控訴人に対してさらに五〇万円の貸付けを申し込んだ。被控訴人は、山田光造に対して今まで無担保で金員を貸し付けていたので、これらの貸金の担保として手形を振り出すことを要求した。そこで、被控訴人と山田光造は、翌日に今までの貸金額を確認して手形を授受することを約束して、被控訴人は、当日は山田光造に対してとりあえず三万円を貸し付けた(ただし、右三万円は、別表に記載されていない。)。

翌六月三〇日、被控訴人と山田光造は、前日申込みのあった五〇万円の貸金を加えると、貸金合計額が先に授受した(1)の手形に見合う昭和六二年中の五〇万円を除いても二〇〇万円を超えることを確認し、山田光造は、被控訴人に額面五〇万円の約束手形四通(前記(2)の手形及び本件一ないし三の手形)を交付した。これを受けて、被控訴人は、同日、山田光造に対して五〇万円を交付して貸し付けた。その際、山田光造は、被控訴人に更に一〇万円の貸付けを申し込んだため、被控訴人は、同日、控訴人名義の口座に一〇万円を送金した。

5  さらに、被控訴人は、昭和六三年七月四日から同年八月二四日までの間に、山田光造に対し、別表のとおり、合計二二万円を送金又は交付した。

右のうち、七月四日の一〇万円の送金については、これを確認すべき銀行口座や振込依頼書がないが、手帳(甲第一一号証の一一)には、「山田10送り」と記載されている。

6  被控訴人は、昭和六三年八月末ころから山田光造に対する不信の念を強め、山田光造から受領していた手形のうち二通(前記(1)及び(2)の手形合計一〇〇万円)を取立てに回して、その支払を受けたが、本件一ないし三の手形金の支払は拒絶されている。

また、山田光造は、昭和六三年八月五日、被控訴人に六万円を送金した。以上の事実が認められる。

三  以上の事実によると、本件一ないし三の手形は、前記(1)(2)の手形とともに、控訴人の主張するように他で割り引いて資金化してもらうために交付したというよりは、被控訴人が山田光造に何回にもわたって貸し付けた金員の担保として交付されたと認められる。右貸付けは、山田光造が株式会社吉見会による病院建設を計画し、被控訴人がその資金調達の協力者として吉見会の取締役にも就任したという関係があったために、反復して行われたものと認められるが、当時はまだ吉見会が経済的実体のない会社であったことなどを考えると、右貸付けは、吉見会に対してではなく、山田光造に対してなされたものと認めるべきであり、控訴人はこの貸付けの担保として本件一ないし三の手形を振り出したものである。

そして、被控訴人から山田光造に対する貸付額は合計二八五万六〇〇〇円であり、仮にこれから前記のとおり若干疑問をはさむ余地のある昭和六三年六月二二日の五万六〇〇〇円と同年七月四日の一〇万円を除き、かつ、控訴人が決済した前記(1)(2)の手形合計一〇〇万円及び山田光造が送金した六万円を差し引いても、なお残額一六四万円の貸金債権があり、その担保として振り出された本件一ないし三の手形の金額を超えているから、控訴人は右手形金を支払うべき義務があるといわなければならない。

なお、本件の全証拠によっても、本件一ないし三の手形金の請求が権利の濫用であるとは認められない。

四  以上の次第で、被控訴人の請求は理由があるからこれを認容すべきである。よって、本件控訴は理由がないから、これを棄却する

(裁判長裁判官 佐藤繁 裁判官 岩井俊 坂井満)

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